【世界ダウン症の日2026 Together Against Loneliness】NIPTを受検しダウン症のあるお子さんを育てるお母さんの手記を特別掲載します― 日本ダウン症会議シンポジウムでの発表より ―

<はじめに>
日本ダウン症協会(JDS)は、出生前検査を受けるかどうか、またその結果を受けてどのような選択をするかについて、特定の選択を推奨する立場ではありません。
それぞれのご家族が悩み、考え、出された決断を尊重することを大切にしています。

出生前検査をめぐっては、限られた時間の中で大きな迷いや不安を抱えながら、誰にも相談できないまま孤独の中で考え続ける状況に置かれることがあります。
同じ経験をした方の言葉や体験は、そのような状況にある方にとって、大きな支えや参考になることがあります。

2026年の世界ダウン症の日のテーマは
Together Against Loneliness(孤独に立ち向かうために、共に)「ひとりじゃないよ。」
です。

今回ご紹介する手記は、非侵襲性出生前遺伝学的検査(NIPT)を受検し、その結果を受けて悩み、考え続けた経験を語ったものです。
そこには、出生前検査をめぐる迷いや孤独、情報を探し続けた時間、そして周囲の言葉や出会いの中で少しずつ考えを深めていく過程が率直に描かれています。

この手記は、2025年11月第5回日本ダウン症会議・第7回日本ダウン症学会学術集会のシンポジウム「うまれる前からうまれた後へ ~出生前検査をめぐる支援・どんな子どもも安心して育てていける社会のために~」において発表されたものです。

このシンポジウムでは、医療関係者、経験者、支援者など、さまざ立場の人がそれぞれの視点から出生前検査について語り合い、どのような子どもも安心して育てていける社会について考える機会となりました。

当初、この発表は会場のみで共有される予定でしたが、参加された医療関係者や支援者、当事者の方々から
「多くの人に読んでほしい」「同じ立場で悩む方の参考になる」
という声が寄せられました。

その思いをお伝えしたところ、ご本人から
「継続を勧める意図ではなく、中断という選択をされた方の気持ちも尊重することを大切にしたい」
というお言葉をいただき、その意思を尊重する形でJDSのウェブサイトに掲載することとなりました。

出生前検査の結果を受けてどのような選択をするかは、それぞれのご家族が深く悩みながら決めていくものです。
JDSとしては、いずれの選択も推奨するものではありません。

しかし、実際に悩み、迷い、考え続けた経験を知ることは、同じ状況にある方にとって一つの支えになることがあります。
この手記が、同じような状況にある方にとって「ひとりではない」と感じられるきっかけの一つになればと願い、「100%の愛をこめて、私たちの誓い」Hちゃんママの手記を特別掲載いたします。

なお、出生前検査を受けたこと自体を周囲に伝えていない方も少なくありません。
そのため、今回の掲載ではお名前など個人が特定される情報は公表していません。

※この手記には非常に繊細で個人的な内容が含まれているため、無断転載は固くお断りいたします。
#出生前診断 #出生前検査 #Hちゃんママの手記 #第5回日本ダウン症会議 #NIPT #手記

『100%の愛をこめて、私たちの誓い』  Hちゃんママ

はじめまして、Hちゃんママと言います。本講演では、この慣れない仮名で通させてください。

今日は、私のNIPT検査を受けた経験をお話ししたいと思います。

この場でお話することは、私たち家族にとって、とてもとても勇気のいることでした。NIPTに対する世間の認識が時に少し誤解されていたり、ネット上ではダウン症をはじめ病気をもって生まれた子どもたちに対する理解のあるコメントがとても少数であるのを目にするたびに、Hちゃんが将来危険な目に合いはしないかと、怖いと感じてきたからです。

それでも、私がこの場に立とうと思ったのは、検査の結果が出てから最大でも9週あまり、確定診断の結果がでてからとなると約1か月の間、無闇に周囲に相談できない悩みを抱え、一方では決断の期限に迫られ、孤独と焦りを感じた経験だったからです。私がお話することで、ここで話を聞いた方が少しでも同様の悩みを抱えているパパ・ママの気持ちに寄り添ってもらえたら、とても嬉しいです。そして同様の境遇のパパ・ママが少しでも心穏やかに過ごせたらと考えております。

本題に入る前にお伝えしたいことが3つあります。
1つ、妊娠中断と妊娠継続を「中断」と「継続」という言葉で表現しております。

2つ、この経験を通して、私たち家族のスタンスは、「継続か中断か、どちらを選んでも、家族が悩みに悩みぬいた決断は間違ってはいない。」ということです。私どもは、これまでそれぞれのご家族が出されたすべての決断をリスペクトしています。また、私の話を聞いて、中断を決断されたご家族が罪悪感を抱くのは本意ではありません。

3つ、この場に立とうと思った理由は先ほどお話しましたが、これからのお話の中に出てくる良い結果、良い要素は、継続を勧める意図は一切ありません。

それでは、はじめます。

2022年11月、私たち夫婦は当時好きだったアニメの主人公になぞらえアーニャちゃんと胎児ネームをつけた我が子が10週3日になる日にNIPT検査の事前カウンセリングを受けに病院に向かっていました。出産予定の病院と異なる病院で、初めていく病院でした。その病院に決めた理由はただ一つ、私たちが住む場所から一番近いNIPT検査の認証施設だったからです。その病院は、駅から続く坂を上った先にあり、そこまでには黄色く色づいたきれいな並木道が続いていました。私は、綺麗だけど、用のないここにくることはもうないだろうなと思いながら夫と歩いていました。まさか、毎週のように通うことになるとは思ってもみませんでした。

事前カウンセリングと検査のための採血は滞りなく終わりました。陽性だったらどうするつもりかと恐る恐る聞いてくださる産科の医師に、私たちも遠慮がちに言葉を選びつつ、中断を考えていることを伝えました。帰り道、丁寧に丁寧に話してくださる説明が夫となんだかまどろっこしかったね、なんて言いながら帰路についたことを記憶しています。

検査結果が陰性であれば、オンライン診療も可能であると聞いて、結果はオンラインで聞くことにしていました。しかし、ある平日の午後、仕事中に私の携帯が鳴りました。携帯の画面には、病院の名前がでており、望んでいない知らせであることはすぐに分かりました。電話口は病院の事務員さんで、ただオンライン診療ではなく、結果は対面で先生からお話したいことを短く伝えられました。私も電話口に指定の日時に伺うことを短く答えました。

結果を聞く日のことは、どうやって病院についたのか覚えていません。ただ、結果は21トリソミーが陽性であったこと、確定検査を受けるように勧められ、その場では何の回答もできず、夫婦で相談すると伝え帰ってきました。夫は、あの並木道の終わりの、駅より少し離れた場所で、「俺は無理だと思う」と言いました。「これまで大学にいき、就職し、平坦な人生を歩んできた。俺には抱えられないと思う。」と。私は、まだ確定検査を受ける前に軽率だなと思いつつ、「ここで気前のよい回答は期待していないが、確定検査の結果が出る前に、何の決断もできないと思う。」と伝えました。そこで羊水検査を受けることに決まりました。

羊水検査を受ける17週目までの1か月あまり、おそらくほぼ全員がそうするのではないかと思いますが、ひたすら偽陽性だった人のブログを探していました。2ケースだけしか見つかりませんでしたが、なんだか自分も偽陽性だったような気持になっていました。私のそれまでの人生は夫以上に、お気楽でした。ここぞというときに結果を残す努力はしてきたような気もしますが、模試でD判定だった私立中学に合格し、中学高校の6年間は親友とぼんやり過ごしました。第一希望の大学には補欠合格で入り、たまたま相性がよかった会社にころっと3年生のうちに内定をもらいました。35歳の5日前に入籍し、その後、子どもに恵まれず、不妊治療で体外受精に進みましたが、40歳を超えて、4回の採卵と3回の移植で妊娠に至るのは比較的短い期間だったように思います。そんなことで、今回もギリギリすり抜けたような気持ちになっていました。
羊水検査をしたのが12月中旬で、結果は年明けになるかもしれないと告げられました。年末年始は、私の母と、同じく未亡人となっていた夫の母も一緒に過ごすことが恒例となっていました。妊娠をまだどちらの母にも伝えておらず、お正月に妊娠を知らせずに「明けましておめでとう」といえないと思いました。また検査結果を知らない状態で妊娠を伝えることも憚られました。中断したことを、流産したと伝えられるほど嘘が上手ではありませんし、赤ちゃんの生死に関して嘘をつくのも抵抗がありました。なんとか年内にFISH法(羊水検査で染色体の数を早く確認するための検査)による速報を聞けることになりました。

それからは幸いにも仕事が忙しく、夫ともこの件について話すことはありませんでした。

そして、速報結果を受ける日、この頃になると、望んでない方の結果だろうなという気になっていました。夫は一貫して、その結果を予想していたようですが、速報も陽性でした。速報とはいえ、羊水検査の結果であり、私の中にもう確報で陰性となる未来を予測する楽観的な気持ちは1mmもありませんでした。年末年始をどう過ごしていいのかさっぱりわかりませんでした。望んだ赤ちゃんを失ってしまうかもしれないのに、明けましておめでとうということなんてできないと思いました。何の追加情報もないまま話しても、夫からは中断しようという言葉しか聞かれない気がして、多くの言葉を交わすことはできませんでしたが、検査したことは伝えず両家には妊娠のみ伝えることにしました。この頃17週にはいっており、胎動は感じていなかったものの、Hちゃんはとても元気でした。羊水検査での入院中、心音をきくために看護師さんが何度も心音計を付けてくれたのですが、Hちゃんがあまりにも元気に動くので、「あれ?さっきまでここにいたのにな」「もうこんなところまできてる」ということが毎回でした。こんな元気な赤ちゃんを失って、その後、どんな風に生きていいかわかりませんでした。もう一つ、私には中断を回避したいという想いが強くなる原因がありました。妊娠後のホルモン変化により持病の子宮筋腫が大きくなっていました。ちょうど子宮口にあり、それゆえ元々自然分娩は難しいだろうと言われていました。次の妊娠のためにも中断方法は帝王切開を避ける予定と聞いていましたが、赤ちゃんが子宮筋腫に引っかかって出られない場合、綺麗な形で赤ちゃんを取り出してあげられないかもしれないと医師から伝えられていました。赤ちゃんに会ってお別れできないということを意味していました。そんな親子のどちらにも悲しいことは信じられませんでした。だからと言って、すぐに継続しようという風に思えた訳でもありませんでした。病気や障害について、あまりに分かっていませんでしたし、それが家族や親せきの人生にどのように影響してしまうかも分かりませんでした。夫とは、この時も腹を割って話すまでの気持ちにはなれず、次の遺伝カウンセリングまでにお互いにそれぞれ調べてみようということになりました。私はYouTubeやブログなどを検索しました。そこには愛にあふれた投稿がある一方、多くの悩みごとが書かれていました。また、比較的重たい症状のお子さんの投稿は見ることができませんでした。中断する理由を探しているような、罪悪感があり、気持ちがふさいでしまったからです。私はNHKアーカイブで、同じように出生前診断を受けられたご家族の特集の中で「親子の未来を支える会」というNPOがあり、そこが運営する胎児ホットラインで相談員さんにオンライン相談できることを知りました。私はそもそもNIPT検査を受けたことも、陽性だったことも3人の友人にのみ打ち明けていました。命を選別することを意味するNIPT検査を受けたことを無闇に人に言えませんでしたが、35年来の親友と、検査を受けたことがあると以前に打ち明けてくれていた友人にのみ話していました。しかし、友人たちに相談する気持ちにはなれずにいました。相手が簡単に発した言葉でないと分かっていても、「気持ちが分かる」と言ってほしくありませんでした。ただ、親友に伝えたときに、一言「一緒に育てるよ」と言われたことはとても嬉しく、その後の気持ちを支えてくれる言葉になりました。一人じゃないという気持ちになった、私にとって魔法の言葉でした。結局、どちらにも決められないまま、私たちは、胎児ホットラインのオンライン相談を受けることにし、17週3日になる日の予約をとることができました。オンライン相談では、経験者の方と専門家、中立的な立場であるピアコーディネーターさんが相談に乗ってくれました。私たちはどうやって決めたらいいのかわからない。どんな情報を集めればいいのかも分からないと、素直な現状を伝え、経験者の方や自治体の窓口に相談したり、作業所が運営するパン屋さんやカフェに行けば大人になったダウン症の方と触れ合える可能性を教えてもらいました。より多くの情報が欲しいと思い、継続した経験のあるご家族にオンラインで話をききました。かわいい娘さんをご紹介いただき、どんな風に日々過ごしているか、お母さまが職場復帰を生後3か月でされたことも聞きました。その職場復帰の話が私にとっては、今までと変わらない日常を過ごしていけるのではないかという希望になったと、今振り返ってみて感じています。年が明けても、決められない日々でした。遺伝カウンセリングの一環として、小児科医師から子どもがどんな風に成長していくかを説明してもらったり、精密エコーの提案をいただきました。普段の妊婦検診より精度の高いエコーの機械で、赤ちゃんの合併症がないことは確定できないが、合併症があることがわかるかもしれないとのことでした。その病院には、胎児診断で著名な医師がいらっしゃりその医師にみていただくことになりました。中断の理由を探しているような気持ちにもなりましたが、今わかる情報を知らずに継続を決断することも難しい気がして有難く受けることにしました。そもそも私ども医療知識のない素人には、この週数でどんなことがわかり、分からないのかも分かりません。それでも多くの情報に触れることが、より悔いのない決断につながると感じていました。結果として、Hちゃんにはその週数時点でわかる合併症は見つかりませんでした。ここまできて、皆さんにお伝えしたいことは、当たり前のことですが、この検査で確定するのは、13と18と21トリソミーだけだということです。Hちゃんと同じダウン症のお子さんと触れ合う機会がありますが、一人として全く同じ症状のお子さんはいません。医療ケアが必要な方もいらっしゃいます。また、私は出産後、自分がもらった恩を返したい思いで、胎児ホットラインのゆりかごという、自分の気持ちを投稿出来るサイトのピアサポーターとして相談に乗らせていただいていますが、ママが継続したいと望んでも、多くは家族の大反対で中断に至ることを知りました。どんな合併症があるかは千差万別で、家族を説得するのは難しいだろうと想像しています。Hちゃんにもあるこの21トリソミーのことをリスクと呼ぶのは気が引けますが、リスクを受容するには、起こる影響を知ることが必要だと思うのですが、NIPT検査後に確定診断をしてもそれは叶いません。受容できないまま、決断することはとても難しいと感じていました。

20週を超えても夫婦で決断できずにいましたが、夫には中断のためにどういう方法をとるのか具体的に調べてみてほしいとお願いしました。おそらく具体的なイメージはできていないだろうと思っていました。調べた夫は、「Hちゃんママがこの経験をして、どんな風になるか想像もできない。どんと来いとまでは言えないけど、Hちゃんママに決断を委ねるよ」と言ってくれました。それはそれで、責任重大ですが、夫があっさりとそう決めて以降は、本当に何も心配がないという風で、驚きました。最終的に、カウンセラー然となった夫から、「そもそもなんで子どもがほしいと思ったの?」と聞かれたことがきっかけで、「中断はせず、Hちゃんの生命力に委ねよう」という気持ちに至りました。私が「子宮を使わずに、一生を終えてもいいのかなという気持ちがあったからだ」と答えると、夫はにっこりして、「そしたら、その望みは叶えられそうだね」と言ってくれたことで気持ちが固まりました。私は正直者なので、全部を受け止めてあげられるかは、わからないけど、100%の愛情を注ごうと決めました。

そうしてやっと、両家に検査結果を伝えました。遠方の実母に話したとき、電話口でいつの間にか号泣しながら、「どうしても中断はできなかった」と言いました。母は、「できることは何でも手伝うよ。」と言ってくれました。家族の誰も反対しませんでした。

22週を超えてからは、ダウン症の情報にはあまり触れないようにして過ごしました。ただ、産休にはいってから、役所の窓口で相談しました。とても優しく、辛かったですねと寄り添ってくれて、窓口でまた号泣しました。

私はこの通りすごく太っていますが、その後の妊娠経過は順調で、妊娠38週0日を待って、計画帝王切開をしました。産声が想像していた以上に大きくて、びっくりしました。「やっと会えたね」と声をかけました。念のため様子をみるということでNICUとGCUに2週間とちょっと入院しましたが、出生時に合併症はありませんでした。


産まれてから、先天的な病気をもって生まれたお子さんのご家族が陥る、いわゆる暗黒期は私たち夫婦にはありませんでした。発達に良いと何かで読んで、朝から晩までずっと歌い聞かせをしていました。童謡を聴かせ「ぞうさん、いつか見に行こうね」と話しかけました。それでも、口には出さなかったけど、毎日ダウン症っぽいところを彼女の顔立ちの中に探していました。この頃の写真を家族に見せたところ、「こんなに可愛かったっけ?」と言われます。おそらく家族も当時はダウン症の顔立ちを探していたのかなと思います。生後2か月であれば誰の首も座ってないだろうと幼児教室に通い始めたのですが、生後5か月ぐらいで首が座らず、居づくなって、辞めるつもりが、1歳ぐらいまでHちゃんの発達は定型でした。幼児教室はすっかり辞めるタイミングを失って、2歳5か月の今でも通っています。最近は、小さい机と椅子に座って50分間のレッスンを楽しく受け、クレヨンでのお絵描きや工作が大好きです。病名がつかないまでも気管支が柔らかいということで、よく気管支炎やクループ症候群になって徹夜で抱っこしたり、2歳になって乱視や内斜視がわかったときは、「ダウン症由来なのかな、ごめんね」と思うことも少なからずありますが、彼女がすくすく育っていることで、私たちの心の支えになってくれています。

Hちゃんが生後10か月のときに、ダウン症の子どもの預かり実績が豊富な保育園を見つけ、時短を使わずに復職しました。訪問看護のPT(理学療法士)さんに朝一にきていただき、有給休暇を節約しています。復職1年目の会社の評価がすごくよかったので、密かに今年昇格を狙っています。

Hちゃんは一言で言うと天真爛漫で、笑いの沸点がとても低いです。我が家は毎日Hちゃんのケラケラという笑い声が絶えません。最近、おしゃべりも上手になってきたのですが、イヤイヤ期なので、お腹がすいていてもとりあえず、「ごはん要らない」と言います。でも、笑わせると食べます。

役所の保健師さんやケースワーカーさんがよく気にかけてくれるので、時折Hちゃんと顔を見せに役所を訪れています。ある時、担当のケースワーカーさんに「Hちゃんはパパママの愛情を100%受けているのがわかる。」と言ってもらいました。私たちがあの日誓った愛情は彼女の中に根をはっていました。もうこの話の結論に良いも悪いも評価をつけるのは、私たちではありません。Hちゃんが彼女の人生を自分の足で歩き出すその日まで、私たちはこれからも毎日、「大好き」「大事だよ」「愛してるよ」と、何度でも伝え続けていきたいと思っています。

ご清聴ありがとうございました。